阪神・淡路大震災の後に仮設住宅ができました。このときにボランティア活動に参加した私たちが困ったことは、そのコミュニティ形成ができないことでした。まったく知らない人が住んでいるところに住み始めるのですから簡単には知り合いになれません。こうして、孤独死が多くあるようになり、私たちボランティアは「ふれあい広場」などを設置し、人と人との交流ができるようにしました。この体験を生かして、新潟震災のときには、前に住んでいた近くの人が仮設住宅でも一緒のところに住めるようにしたのです。
ところで、阪神・淡路大震災の仮設住宅を訪問していたときですが、私が異様に感じたのはじつは「縁側」がないことでした。「縁側」がないとその家の人との「縁」をつくるのは、わざわざ玄関から訪問するしかないのです。その場合、ドアを開けての立ち話となってしまいます。
私は、京都生まれなのですが、京都の家は狭くて縁側などないのですが、夏には夕方になると水打ちをしたあとに床机を道路に出して涼みながら隣近所の交流があったのを覚えています。
いま、団塊シニアたちがリタイアした状況を考えると、阪神・淡路大震災の後の縁側のない仮設住宅を思い起こします。彼らにとっては行くべき場所、コミュニケーションをする場がないのです。
ここで必要なことは、「縁側」に変わる「居場所」をつくることなのです。このことは自然発生的におこなわれていますが、以外に重要なことに気づきました。それは、京都で久しぶりに祇園祭りをみたからでしょうか。
- 田中尚輝 さんの日記
- (その他)-(その他)
- at 19時12分
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