団塊の世代というと全共闘で名をはせた「異議申請」を平気にする人々で「個人主義」を標榜する人だという認識が一般的です。ところが、この時代に大学に入学をしたのは、その世代の15%であり、全共闘に参加したのはその1割いたとしても1.5%でしかありません。団塊の世代の670万人のうちの2〜3万人程度でしかないのです。圧倒的多数は、大学にはいかず、また、中卒、高卒で高度経済成長を支えたのです。
このことを実感として感じましたのは、私の知り合いに蓑輪紀子という新潟日報記者の記者がいますが、彼女が書いた『新潟発 団塊の世代史』(越書房、1995)という本を読んだからです。この本は、新潟日報に掲載された記事を書き直したものですが、彼女が卒業した新潟市立坂井輪中学校を1962(昭和37)年に卒業した3年組に在籍した49人全員を追いかけて、そのほとんどをルボルタージュでこの本の中に登場させます(生まれは昭和21年4月〜22年3月)。
49人のクラスの中で全日制高校に進学したものは18人で3分の1でしかありません。その他は定時制高校、中卒者で主に家業である農業を引き継ぐものが多く、一部は就職しました。私は昭和18年うまれで団塊の世代よりも少し上ですが、高校の同学年200名のうちに大学へ入学したものは30人程度でした。
ですから、団塊の世代の多数派は、中卒、高卒の人々であり、異議申請を直接にできた人とは違うのです。
箕輪さんの本を読んでいますと、1人ひとりの生活を通じて団塊の世代の多数派がどのような生活をしたのかを理解できます。
この世代の人々は、日本の脱農業という産業構造の大変化に振り回されています。中卒後25年たった40歳の時点(87年)に農業で残っているのはたったの3人でしかなかったのです。
多くは高度経済成長をささえる工場労働者やホテル、飲食業などに勤めます。モーレツ社員になり、あるいは自分の店を持つために懸命の努力をします。その中で結婚をし、子どもを育て、ある人は、離婚します。このような人々の人生の描写をみて、私はつぎのようなことを考えました。
団塊の世代が人生を豊かに暮らすためには、これからの人生の送り方が重要だということです。つまり、高度経済成長を支えたということは企業の思うままの道具として使われて生きてきた過程だということです。人生の40年間を自分のことを横において企業のため、家庭のために生きてきたのです。これからは、企業の命令に従わなくてもよいのですから、自分自身の能力を信じて企業にとらわれずに創造的な社会的分野を追及できるようにすれば、魅惑的な人生を送れることになるのではないか、ということです。
企業サイドもこのような観点から商品やサービスの創造が必要なのではないでしょうか。
- 田中尚輝 さんの日記
- (その他)-(その他)
- at 19時09分
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