『「悪党的思考」のすすめ』(中央アート出版)について、シニア社会学会の会報への原稿依頼を受け、下記を寄稿しました。
また、本日は学陽書房から連絡があり、『NPOビジネスで起業する!』が7刷になるとのことです。
今の社会を覆う閉塞感をどのように克服したらよいのだろうか。その閉塞の理由は、現代社会の改革についての方向性の合意がない、既成組織である官僚制度や企業の限界、それに影響された社会的諸関係の桎梏などによるものである。
しかし、私は研究者ではなく、一人の市民であり、社会活動家である。以上のような社会の閉塞感の証明をどれだけ理論的に行ったとしても、私にとっては何の意味もない。そのような現状を批判するだけでは天に唾することである。こうして、私たちが市民として介護サービスに取り組みだしたのは1980年代になってからであるが、それは行政批判だけをしていても何らの現実の変化に結びつかないからであった。そして、この流れが介護保険法の成立(1997年)に結びついていくのである。チェ・ゲバラではないが「革命は語ることではなく、“する”ことである」。
だとするならば、社会活動家にもっとも求められるのは、閉塞感を生みだしている官僚、企業、社会システムを自らが変える能力なのである。そして、この機構の変革は、機講だけに目をつけても変えることはできない。それを構成する個々人の人間に目をつけなければならない。なぜなら、社会は個々の人間が作り出しているからであり、人間が変化しなくして社会だけが変わることはあり得ないのである。そして、その人間はすべからく善性を持っているが、同時に悪性でもある。この二面性を善性に集約しようという考え方はイデオロギーや宗教の世界のものであって、どちらかに統合されるわけではない。
本書は、このような思考過程によって、「悪党」に注目した。「悪党」は中世に活躍した鎌倉幕府に対する反権力の動きである。その動きは、柔軟であり、武士的ではなく、商人の動きもし、時には後醍醐天皇と組み、鎌倉幕府に対抗する。悪党の中で有名な楠正成は、赤坂城、千早城に数百人で閉じこもり、数万人の幕府軍を翻弄する。
この悪党の立場になり、現実の日本社会を分析すると市民活動のひ弱さに気付くことになる。これを強固なものに変えていくには、人間の本性である悪性・善性の分析と活用方法も考慮しなければならなかった。私は、日本において市民セクターを作り上げることをライフワークにしており、そのために社会活動家へのメッセージとしたのが本著である。
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