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2006年08月20日

『「試み」の政治学』(篠原一)に想う

篠原一先生は、『「試み」の政治学』の中において、<こうして政治社会(国家)と経済社会(市場)と市民社会の3つの領域が形成され、「三者は独立しながら、相互に密接な関係をもつようになった」>と指摘しています。そして、市民社会においては、自由と平等以外に「連帯」が重要であること、国家に対して市民社会の力を持とうとすれば自治体への市民参加が必要であること、利益を求めて動く市場に対して市民社会がその役割を果たそうとすれば、NPOなどの市民事業がGDPにおいて2割程度を持たなければならない、と指摘しています。

○連帯
まず、「連帯」についてですが、自由と平等は国家に対して個人が市民社会を形成するにあたって必要不可欠な理念と制度であり、これによって人々は国家を「内から変える」ことができるようになったのです。貴族社会や封建社会においては個人の自由と平等が保障されていませんから、制度として「内から変える」ことはできません。
ところで、「連帯」がなぜ市民社会において重要な意味を持つのでしょうか。人々は国家によって「セイフティネット」を持ち、市場によって生活の糧を稼ぎます。しかし、人は最低生活の保障と労働力を売ることによって賃金を確保できたとしても、それだけで動物的に生きていくことは可能であっても、人間らしく生きていけるわけではありません。その日常生活において政治や経済と関係なく、個々の人間同士の助けあいがなければ充実した生活をおくることは無理です。
問題を一般化せずに介護保険制度という国家のサービスに焦点をあて、それと市民社会の関係について考えて見ましょう。NPOは介護保険制度だけで十分な介護サービスが提供されるわけではなく、枠外(インフォーマル)サービスを「連帯」によって作り出さなければならないことを主張し、自らがサービスを作り出してきました。私は当初から「介護保険制度は人々にとって必要な介護サービスの5割程度しか提供しない」と言ってきました。そのあとの5割を「連帯」によってつくりださなければならないわけです。
この際に市民社会論からいえば、介護保険制度という国家による定式としての分断された個々のサービスの提供システムを次のように変えていかなければなりません。
?人間としての個々人の立場から、必要なサービスを体系的に受けることができるようにすること。(介護保険制度に移動サービスが含まれていないことなどは国家による「ぶつ切り」サービスの典型です。NPOは移動サービスを創造して、「ぶつ切り」サービスにならないように懸命の努力をしているわけです。)
?市民社会を形成していくことは、国家による介護保険制度に対して自治体を市民の側に向かせ、市民事業・ボランティアによる「連帯」サービスと呼応させ、総合的なサービスを提供できるようにしていかなければならない。ことに「特定高齢者」といわれる要介護周辺の人々の健康維持政策、介護保険サービスにおける介護予防と介護の連動をさせていかなければならないわけで、このことのためには自治体とNPOのコラボレイトが必須です。
 以上は一般論ですが、2006年4月からの介護保険制度の改悪によって、国家はその介護サービスを5割どころか3割程度に切り下げました。では、市民による「連帯」の行動は、残った7割を提供しなければならないのでしょうか。答えは、提供しなければならないのです。なぜなら、人が尊厳ある生活をしようとすればそうしたサービスが必要だからです。
 しかし、市民は漫然とサービスの増量だけを考えればよいのではないのです。ここにおいて国家の果たすべき役割、自治体の責務を明確にさせ、市民としての国家と自治体との「契約内容」の確認作業をしなければなりません。これが市民社会を形成する「市民」の責務です。
 今回の介護保険制度の改悪は、まるで明治安田生命などの契約違反と同じことです。当初の契約は「診断なしでOK」としながら、その給付時には診断がなかったから支払わない、といっているのと同じことで、国家の犯罪といってよいものです。一方の明治安田生命などは国家権力である金融庁から処分をうけているのに厚生労働省はどこからも譴責されません。これを叱り、制度の改悪を「当初の制度の設計ミス」と謝らせることを市民と市民社会はやらなければならないのです。こうして、契約のやり直しをした上で市民は「連帯の精神」を発揮して要介護者支援をおこなうというのが筋道です。
 国家と市民社会は、このような緊張関係を絶えずもち、それぞれに牽制しながら、社会を運営していくのです。この関係を曖昧にしては「連帯」は醸成されないのです。

○市民事業・NPO
いや、篠原先生には参りました。NPOなどの市民事業がGDPの2割程度を占める必要があるというのです。そうでなければ、しっかりした市民社会が形成されていかない、というのです。(「市民社会が市場の浸透に対して防波堤をつくり、さらに経済社会に一定のインパクトを与えるためには、こういう市民社会と市場の交差領域を次第に広げて、市民事業がGNPの二割近くをしめることが必要であろう。」)
NPO大国のアメリカでさえGDPの8%程度しかNPOが担っていません。日本ではNPOの創出している価値は1兆円程度で、これはGDP比でいえば0.2%程度でしかありません。現状の100倍程度(100兆円程度)にしなければ立派な市民社会を形成したことにならないと篠原先生は指摘するのです。このことはNPOの現場にいる私にとっては夢物語のようにも思えてきます。
ただし、人間のためではなく、儲けるためにしか動かない企業に対して、人間の側にたった市民事業は「連帯」を基盤にして市場においても力量を発揮しなければなりません。そうでなければ、「連帯」自身も豊かに育たないのです。
この4月からの介護保険制度の改悪によって、民間営利企業の市場からの脱出が続いています。4月時点で500の事業所が撤退し、今後も増大していくことでしょう。市民事業としてNPOはどのように対応していかなければならないのでしょうか。
?NPOは介護保険事業者として、その市場が要介護者にとって必要な介護サービス提供がおこなわれ、また、その提供側の労働条件が一般労働市場との格差がないようにしなければならない。
?NPO全体としては、介護保険事業から撤退してはならない。そのことは、準市場としての介護保険市場を民間企業と国家のお抱えの事業体である社会福祉法人に任せてしまうことになってしまう。また、「自己決定権」を福祉立法の中ではじめてうたい、民間事業者をサービス供給側としてはじめて認めた介護保険法を措置の時代に逆戻りさせることになるからだ。
介護保険制度の現場にいる私には個々のNPOの中には介護保険事業者からの撤退が一部に起こってきていることを見ている。ただ、そうした事業体のリーダーの多くは枠外サービス(インフォーマルサービス)を軸におこうとしており、市民事業としての成長の軌跡としてみることもできる。
?篠原先生がGDP比20%をNPOに、といっていることを実現しようとすれば、それはたかだか6兆5千億円の市場でしかない介護保険制度だけにこだわる必要は無く、市民事業として日本のGDP全体の「500兆円市場」へ切りこまなければならない。
 この点の構想力と挑戦力が現状のNPOには決定的に不足している。ことに、NPOの市場への挑戦を古い「ボランティア論」が阻止しようと動くことについても警戒しなければならない。
 私は、この点について篠原先生の主張を具体化するためにはシニアビジネス市場の主導権をNPOがとる以外にないと考えている。なぜなら、NPOの主戦場は個人マーケットであり、その主要な消費者はシニア(50歳以上の人が1500兆円の個人金融資産の65%を保持)だからだ。
 ちなみに、日本のGDPは約500兆円だが、その6割(約300兆円)は個人消費である。したがって、篠原先生流にGDP比20%=100兆円というならば、NPOは個人消費の33%にあたる分野を獲得しなければならないことになる。
 この点については、市民社会として企業を市民事業のコラボレイトの対象として大胆に巻き込むことが必要であろう。また、企業が育てた人材をどれだけ多くNPOに引き入れていくのか、という観点も重要です。
篠原先生の提起を以上のように読み取ると私自身はNPOの世界において戦いと忙しい日が続くこと甘受せざるを得ないわけです。久しぶりに篠原先生に刺激を受けてマンネリ化しそうな日常生活を反省し、感想を述べました。


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