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2007年12月06日

書評:『家父長と資本制 マルクス主義と資本制』(上野千鶴子、岩波書店、1990)

最近、上野千鶴子さんと懇談する機会があった。前から注目していた人だが初めておめにかかることになった。ただ、私はフェミニズムについての関心が薄く、上野さんの論考については、市民事業について、あるいはケアについての文章しか読んでいなかった。その中で、上野さんは私の論考にも触れ、ある部分は評価されているが、「田中はフェニズムの視点がない」と批判されている。私自身は今でも「マルクス主義者」を自称しており、もっと早く上野さんの基本的な論考に接しておくべきだった、というのが読後の感想である。NPOの活動家にとって必要な観点から本書を紹介しておく。
 まず、マルクス主義フェニズムとは何か。
 マルクス主義の解明が及ばない「家族」という再生産の領域の存在と、その抑圧の構造の解明であった。マルクス主義は近代産業社会の抑圧の構造の解明にはすぐれた分析力を発揮したが、「市場」のおよぶ範囲がマルクス理論の限界でもあった。「市場」を「市民社会」と同一視すれば、「市場」の外に「社会」はないことになるが、実は「市場」の外には市場原理の及ばない「家族」という領域があって、その機能は「労働力の再生産」という重大な役割を果たしている。つまり、仕事の疲れをとり、食事をし、子どもをつくり、労働力を絶やさないような重大な役割を果している。
 ところが、家庭内における「家事労働」は、労働として評価されることはない。レストランで食事をすれば食事代を支払うが、主婦のつくった手料理には支払わない、掃除や介護サービスについても外注すれば、サービス料を支払うが主婦がすれば支払労働にならない。こうして、家事労働はGDPには一切勘定されないのである。
 この家事労働の無視は、家父長制に根源があり、男の女にたいする支配へつながり、家事労働についての社会的評価が低くなる、ホームヘルパーの賃金の低さ、というつながりをもつわけである。
 以上の文脈は理解できる。上野さんと私が違うのはこの後である。これは本書にかかれたことではないが、上野さんは無償ボランティアを肯定するが有償ボランティアを否定する。なぜならば、抑圧された女性の家事労働の延長線上にある、と考察してしまうからだ。
 私は、ヘルパーの賃金が安い、と思っている。すくなくとも年収450万円程度の勤労者の平均年収の確保がされるべきだと思っている。したがって、NPO法人市民福祉団体全国協議会を通じて積極的なロビー活動をおこなっている。だが、最低賃金程度の有償ボランティアはあってよいし、そうしたサービスの領域は発展させるべきだと思っている。なぜなら、人間の働きには賃労働と無償ボランティアだけではない。その中間がある。つまり、雇用関係ではなく、対等な立場でサービスをしたりされたりする関係があり、そこに労働賃金ではなく謝礼金の性格をもった金銭のやり取りがあってよい。これは友人の引越しを手伝った後の謝礼、葬儀などの手伝いの後のお礼などと同質のものである。これは、男の女性支配ということではなく、人間同士の支え合いとして成立しているのである。こうした部分を認めないと人間社会はギクシャクしたものになるであろう。この点については、私としても理論的に深化させていきたい。


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