『リーダー論』覚書

『リーダー論』の新段階

新しくメモを提起します。

 私はリーダー論に若いころから興味を持っていた。それについての原稿もたくさん書いている。だが、なかなか究極の本質に迫れずに本を読んだり、考えたりしていた。最近、この核心に近づいてきたように思う。それをまとめた本を年内に出版します(草稿ができました)。
 昨日(2007年7月13日)、名前を出せば日本人なら誰でもしっているある有名人に会い、NPOのリーダー論の議論をした。
 彼は、「教育や研修によって、果たしてリーダーは生まれるのか?」ということで教育に関して懐疑的であった。私も50歳ころまでは全くこの意見と同じだった。だが、人間は晩年になると教育に関心を寄せるようになるのかもしれない。私もそうした年齢になってきた。
 ここで考えなければならないのは、原型気質=DNAと後天的資質との関係である。確かに原型資質は変わらない。したがって、全くリーダーに不向きな人がいる。だが、原型資質がリーダーに向いていても、後天的な資質の開発ができなくて、リーダーにならない人がいる。
 後者を救いだすのが、教育や研修だと思う。この事業にボツボツと参画していきたい。

人は変わるか?

 リーダー論にとって、もっとも難しいのは「論ずる」ことではなく、人をリーダーに変えることである。
 ところで人は変わるか?答えは「人は変わるし、変わらない」ということである。どこが変わって、どこが変わらないのか。「原型気質」は変えようがない。しかし、原型気質を自分で知らない人が多い。それを発見すれば見る見る間に変化・発展する。
 努力によって変わることも多い。

リスクをどうとらえるか

 事業を起こす場合には、リスクがあるのは当然である。リーダーは事業を起こす人、事業を推進していく人だからリスクがあるのは当然のことである。

内なる敵?

人や組織は内なる敵をもっています。そして、この敵によって手足を縛られ、身動きできなくなっている場合がよくあるのです。そして、この敵が怖いのは、その姿を見せないことです。本人やその組織自体では、この敵の存在がわからないやっかいなものなのです。
 たとえば、人は「自分はこうだ」と決め付けていることがあります。「自分は内気だ」「自分はリーダーにはむかない」「自分は大きなことはできない」などなどです。組織でいいますと、「この事業しかできない」「毎年の事業高はこの程度でよい」「NPO法人だから、このレベルでよい」というようなことを動かない選定のように設定いるのです。
 だが、こうしたことのほとんどのことは自身で決め付けているだけであって、何らの根拠があるわけではないのです。ちょっとした観点からの見直しやあるいは他者からの指摘によって、いままでの「決まりごと」がガラガラと崩れるのです。
 たとえば、私個人でいえば小学校二年生までは内気な性格だと思い込んでいました。ところが、三年生から担任の先生が変わったとたんにまるで性格が一八〇度も変わり外交的になってしまいます。記憶がしっかりしていないのですが、その先生にほめられたことがきっかけになっていると思います。
 組織でいえば、高齢者問題を市民活動として任意団体としていた時期にはまったくうまくいかなかったのですが、あるときに公益法人格を確保したらどうだろう、ということが頭に浮かんだのです。これは一九八〇年代の半ばのことですから、NPO法人はなく、公益法人というのは社団法人か財団法人のことです。これは役所がつくる場合には簡単なのですが、これを草の根ベースでつくろうという試みは誰もしなかった時代です。この無謀な試みを「面白い」と感じてくれた経済企画庁(当時)の役人がおり、また、多くの友人や企業の支援があり、苦労はしましたが社団法人化が実現するのです。これ以降は不思議なほどに思うがままにといってよいほど発展してきました。私は、この法人格を確保したことを「天国と地獄」ほどの違いがあると実感しました。

内なる敵?

NPO法人の縛り

 NPO法が成立し、多くのNPO法人が生まれていますが、その多くが知らない間に自縄自縛に陥っていることがあります。それは「社団法人方式の定款」による自縛であり、「総会至上主義」というくくりです。
 定款というのは、自分の団体の憲法のようなものですから、定款どおりに組織を運営することは一般的には正しいことなのです。ところが、多くのNPO法人の場合には所轄庁からモデル定款として提示されるものを下敷きにしています。NPO法の規定だけによって定款をつくっている法人はほとんど存在しません。ところが所轄庁がつくっているモデル定款は「社団法人方式」を踏襲したものになっています。したがって、自然にNPO法人は社団法人的な運営をしていることになります。じつは、これは大変に危険なことなのです。
 社団法人の定款は総会が最高の決定機関になっており、その決定をうけて理事会が運営・経営することになっています。事務局などは「理事会は事務局をおくことができる」などの表記があるだけで無視されています。しかし、実際にNPO法人にあたって重要な役割を果たすのは第一には理事会であり、第二に事務局、総会は第三番目にしかならないのです。これを無理やりに定款にあわせて法人の運営をしようとすると動きがとれなくなります。じっさいに私が役員をしていますNPO法人NPO事業サポートセンターでは、当初の定款では「借入金をする場合には総会決定」ということになっており、助成金をえての仕事をする場合にはお金があとからしか入ってきませんので、先に必要資金の借入れをしようとしてできないことがわかりあわてたことがあります。早速、翌年の総会において定款を改正して借入金は理事会決議事項にしました。このようなことは、事業型のNPOにおいては致命的なマイナスになる場合があります。

「利己」をどう超えるか?

 リーダーが、ことにNPOのリーダーの課題は「利己」をどのようにして乗り越えられるか、だろう。実に、これが難しいのだ。
 私の周辺にも肩書きにこだわる人がいる。自分の能力を考えずに、自分の格好だけを気にしている。困ったものだ。
 ただ、こういう人は必ず自らが欲している肩書きを確保できない、あるいは長く確保できない。なぜなら、そのこと自体がその組織をだめにすることにつながるわけだから、その組織をしっかりと守る人々がそれを許さないからである。
 今は、4月末、NPOや公益法人の総会シーズンで人事をめぐるドラマがあちこちで展開されている。その多くが「利己」をめぐる問題である。

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手段の目的化、目的の手段化

ゴールド倶楽部060605

村上世彰氏に思う
   〜リーダーの難しさ
                    田中尚輝

「村上ファンド」の村上世彰氏が今日(6月5日)にも、強制捜査をうけると報道されています。インサイダー取引の容疑を問われてのことです。
 この間の村上氏の報道で気になったことが私にはあります。それは、村上氏の「変化」についてです。彼は通産官僚の出身で株によって日本と社会を変える、ことを目標に世にうってでた人物です。その何人かの友人がいうには「たしかに最初は日本を変えるといっていたが、最近は出資者に1円でも多くの投資効果を出すことに変わった」というのです。彼の事業は最初から株を買い、「物言う株主」として株主のことを考えない経営陣に株価を上げさせる経営に転換させ、そして株を売り、出資者に配分するというものです。
 最初はファンドが40億円程度であったものが8年を経て4000億円にもなり、その過程で「日本を変える」から「金の増殖」だけに変化したわけです。ファンドが100倍という量に膨れ上がる中で村上氏にある「変化」がおこったのです。
 弁証法は「量から質への転換」「質から量への転換」という法則があるというのですが、この40億から4000億への量的な変化の中で村上氏の「転換」がおこったのでしょうか。投資家に2割程度の配当を確保するためには3割程度の運用しなければならないわけで、4000億円というと年間1000億円程度の運用益を得なければならないわけです。このような利益はインサイダーでもやらないとおっつかないのかもしれません。
 私の問題関心は、村上氏は新しい日本のリーダーであった、ということです。ところが犯罪者へ転落しようとしているのは、彼の初心がどこかで捨て去られ、「変化」し「転換」したということです。このことの誘因は「金」です。
 リーダーがリーダーとなっていくためには自己のモチベイションをたえず高めていなければなりませんが、この際の誘因は3つあって1つはお金、2つは権力、3つは名誉です。村上氏の場合で言えば、最初は日本を変えるという「名誉」を確保したかったのでしょう。そして、お金は彼にとっては副次的なもの、つまりツールであったはずです。ところが、このツールが目的にとって変わられることになるのです。
 じつは、このような例はたくさんあって、たとえば、議員秘書はその背景にいる議員に依頼をするために「先生」と呼ばれることが多いのですが、頻繁に「先生」と呼ばれている間に秘書が自己を議員に置き換えてしまう錯覚をおこしている人が多くいます。その流れで、小泉チルドレンのナントカ大蔵さんは、この秘書が間違って議員になった例ですので、誤りを犯しやすい立場の人です。また、私のいるNPOの世界にはお金との縁があまりないのですが「名誉」だけはあります。そうするとNPOの目的のためには何もしないで名誉である「肩書き」だけを欲しがる人も生まれてきています。
 このように「目的の手段化」、「手段の目的化」にならないようにするためには、自己を律する強い意志が必要なのですが、こういう人は稀にしかいないのでしょう。村上氏のようにリーダーになることはできる人は多いのですが、立派なリーダーで終える人は少ないのです。それはリーダーになれば金、権力、名誉が押し寄せてきて、自己を律することができず、それを自分個人の利益のために活用したくなるのでしょう。天はなかなか真のリーダーをつくろうとしないのです。他山の石としましょう。


田中尚輝 の仲間たちの日記

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