私の読んだ本

私の読んだ本

『団塊の世代「黄金の十年」が始まる』

(堺屋太一、文芸春秋、2005)05・12・27読了

 「団塊の世代」の造語した人物の論。団塊の世代の生きた時代的・社会的な背景を描写し、その特質を分析している。だが、なぜ「黄金の十年」になるのかは理解できない。
 著者の主張は、団塊の世代が巨大な消費マーケットを形成し、それによって日本経済が活性化されることをポイントとして述べている。この巨大な層の社会的な役割という文明史的観点からのアプローチに欠け、論理展開が平板になっている。

『あと2年!サラーリーマン、定年までにしておく15のこと』

(江坂彰、PHP研究所、2005)05・12・29読了

 なんとも団塊の世代のリタイア後はさみしいものだ、というのが本書の読後感である。
 退職をひかえた団塊の世代は「あと2年」で退職する。そのための15の教訓を述べている。その2,3を拾ってみる。「『妻と二人生活』が基本スタイル」「熱中できる趣味を二つ」「仕事以外の友人をつくろ」というようなことである。
 読みつつ、日本においては「人生五〇年時代」を超えていないと感じた。人生80年時代のシニアのライフスタイルは模索状況だから、このレベルの内容のものが本になるのだろう。団塊の世代はもっと利口でエネルギーがあることを実態として証明していかなければならない、と思う。

『シニアビジネス 10の鉄則』

(村田裕之、ダイヤモンド社、04)05・12・31読了

主にアメリカのシニアビジネスを紹介している。アメリカでは日本の団塊の世代にあたるベビーブーマーを47年生まれから64年までの10年間をさすが、この世代へ向けてのアプローチをしっかりとしている。具体的な紹介があり、参考になる。
 著者の日本での講演の質問に「日本でそれをすれば成功するか?」ということがよくあるという。これに対して著者は、「成功するかもしれないし、しないかもしれない。だが、そのような発想とそれを現実化した背景を見て欲しい」と注文をつけている。また、納得できるのは著者が「成功するかしないかは、それを実行している人の意欲や資質による」と言っているのには拍手をおくりたい。

『団塊世代・新論』

(天野正子編著、有信堂、2001)06・1・1読了

団塊の世代について書いた本ではもっとも参考になる。調査をもとに世代論、ジェンダー論、会社からの自立、夫婦論などを社会学者として論じている。
 私が、今書いている本に反映させたい。一読をお勧めする。

『利益があがる!NPOの経済学』

(跡田真澄著、集英社インターナショナル、2005)06・1・10読了

本書で参考になったんおは、NPOの事業としてコンサルティングが事業として成立する、ということ。
その他は当たり前のことを書いている。小泉内閣のブレーンがNPOに注目していることを喜ぶべきか。

『市民自治の可能性』

(福嶋浩彦著、ぎょうせい、2005)06・1・17読了

私が注目している市長である福嶋さんから著書をいただいた。彼の自治に対する思いと具体的な展開手法がわかる。
ただ、本の創り方が雑なのがおしい。

『新潟発 団塊の世代史』箕輪紀子、越書房、1995

ゴールド倶楽部060619

           団塊世代の多数派
                田中尚輝

団塊の世代というと全共闘で名をはせた「異議申請」を平気にする人々で「個人主義」を標榜する人だという認識が一般的です。ところが、この時代に大学に入学をしたのは、その世代の15%であり、全共闘に参加したのはその1割いたとしても1.5%でしかありません。団塊の世代の670万人のうちの2〜3万人程度でしかないのです。圧倒的多数は、大学にはいかず、また、中卒、高卒で高度経済成長を支えたのです。
 このことを実感として感じましたのは、私の知り合いに蓑輪紀子という新潟日報記者の記者がいますが、彼女が書いた『新潟発 団塊の世代史』(越書房、1995)という本を読んだからです。この本は、新潟日報に掲載された記事を書き直したものですが、彼女が卒業した新潟市立坂井輪中学校を1962(昭和37)年に卒業した3年組に在籍した49人全員を追いかけて、そのほとんどをルボルタージュでこの本の中に登場させます(生まれは昭和21年4月〜22年3月)。
 49人のクラスの中で全日制高校に進学したものは18人で3分の1でしかありません。その他は定時制高校、中卒者で主に家業である農業を引き継ぐものが多く、一部は就職しました。私は昭和18年うまれで団塊の世代よりも少し上ですが、高校の同学年200名のうちに大学へ入学したものは30人程度でした。
 ですから、団塊の世代の多数派は、中卒、高卒の人々であり、異議申請を直接にできた人とは違うのです。
箕輪さんの本を読んでいますと、1人ひとりの生活を通じて団塊の世代の多数派がどのような生活をしたのかを理解できます。
この世代の人々は、日本の脱農業という産業構造の大変化に振り回されています。中卒後25年たった40歳の時点(87年)に農業で残っているのはたったの3人でしかなかったのです。
 多くは高度経済成長をささえる工場労働者やホテル、飲食業などに勤めます。モーレツ社員になり、あるいは自分の店を持つために懸命の努力をします。その中で結婚をし、子どもを育て、ある人は、離婚します。このような人々の人生の描写をみて、私はつぎのようなことを考えました。
 団塊の世代が人生を豊かに暮らすためには、これからの人生の送り方が重要だということです。つまり、高度経済成長を支えたということは企業の思うままの道具として使われて生きてきた過程だということです。人生の40年間を自分のことを横において企業のため、家庭のために生きてきたのです。これからは、企業の命令に従わなくてもよいのですから、自分自身の能力を信じて企業にとらわれずに創造的な社会的分野を追及できるようにすれば、魅惑的な人生を送れることになるのではないか、ということです。
企業サイドもこのような観点から商品やサービスの創造が必要なのではないでしょうか。

『公益学のすすめ』(小松隆二)

2006年6月24日読了(慶応義塾大学、2000)

 これほど「公益」の重要性が指摘されているのに、「公益学」が成立していないという事実に改めて認識させられました。
 人が生きるのに他者のための活動は必須です。「世のため、人のために」する行動を否定すれば人間社会はなりたちません。たとえば、道を歩いていて行き先のわからない人に尋ねられれば答えるのが当たり前でしょう。電車の中で苦しんでいる人がいたら、自然に声をかける人がでてくるのです。また、近所に高齢者で困っている人がいれば応援してあげようとしてボランティア活動がでてくるのは普通のことです。
 また、営利企業には向かない教育や医療やサービスの分野があることも事実であり、民法が成立した110年前から公益法人制度が設定されています。そして、営利企業にも公益法人にも含まれない協同組合や労働組合などの中間団体もでてきています。ところが、こうしたことが研究対象となってきたのは、ごく最近のことですし、ほとんど何もわかっていないのです。
 本書は「公益」とは何か、を整理した上で個別に「環境」「医療」「社会福祉」「大学(学校)」「科学技術」「労働組合」「企業」と「公益」との関係について論じています。じつは、冒頭の公益についての一般論より、この各論を読むと、いか日本社会がいい加減に作られているのかを知ることができます。
 そして、公益問題は、本来は政治という公益を実現しなければならない分野が「権力」と「私益」によって牛耳られている社会構造の本質に迫らなければならない、と感じました。このことは、リーダー論の基礎としても必要だと思う。


田中尚輝 の仲間たちの日記

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