桐生市ボランティア協議会

桐生市のボランティア協議会とは

1978(S.53)年 4月、桐生市で活動していた社会教育・福祉のボランティア団体の内16団体が参加し、団体相互の情報交換・連絡調整の場として、ボランティアの拠点(ボランティアセンター)づくりを目的に、市民主導で桐生市ボランティア 協議会が設立されました。
現在の協議会は、55団体と80名の個人会員によって構成され、自発性が尊重されたゆるい開かれたネットワークが形成されております。
活動は、一団体ではできないような事業を、団体や個人会員の参加で「この指止まれ」方式の運営形態によって非常に活発な事業が展開されております。

V協ハイキング

障害者と健常者との“心のふれ愛”を求め秋の1日を楽しく過ごそうと、一緒になって食事作りやゲームを楽しんで交流を図り、お互いの理解を深めあい、共に生きる地域社会づくりを目的に開催しています。
回を重ねて16年度で25回となり約216名(内障害者80名)の参加があり、参加者の皆さんには非常に喜ばれている事業となっています。

保健・福祉・医療 ふれ愛フェスティバル

保健・福祉・医療各分野の横の連携を目的に、それぞれの分野のボランティア団体や関係機関、企業、個人の参加によりフェスティバルを開催しています。
この事業は、相互理解と連携を図るきっかけづくりとなっています。
主催団体には、50~60団体が参加し、来場者は約 1,200人を超えた盛大なイベントとなりました。

移送サービスボランティア活動

桐生ハンディキャブ友の会として、車椅子生活者の社会参加を促進させることを目的に、運転ボランティア・介助ボランティアの協力によりリフト付き車両を運行しています。
利用会員(車椅子生活者)20名、運転ボランティア15名、介助ボランティア10名が登録されています。利用会員には、キロ20円のガソリン代を負担していただきます。
共に生きる社会づくりを目指して、障害者が気兼ねなくコンサートや買い物に行くことができます。〈最大時、利用会員55名、運転ボランティア、43名、介助ボランティア、20名でした。〉
個人的にボランティア活動をしたいと思っている人たちの受け皿ともなっています。

市長とボランティアの集い

ボランティア活動を通して学んだことや、地域社会を良くするための政策提言を市長との懇談会の場を通して意見具申し、今後の市政に反映してもらいます。30~40団体が参加しています)

災害ボランティア活動

1995年、阪神淡路大震災のときの炊き出し支援事業と、その後毎年の仮設住宅の人たちとの交流事業を6回実施(延べ251名が参加)、その際「励ましの手紙」事業も実施しました。
1999年には、神戸の被災者の方々29名を桐生にお招きして交流会を開催し。2005年には、逆に桐生から13名の方が招待され旧交を温めました。
また、1996年ロシア船ナホトカ号が座礁した日本海重油流出事故では、その回収ボランティアとして、3回派遣し、延べ95名の参加実績があります。2004年には、新潟小千谷市へ、地震発生10日後から、毎週、6回派遣を続け、一時支援の中止の申し出がありましたが再開し、毎週仮説住宅へ支援を続けています。2005年には、散髪の支援も行いました。

きりゅう女性支援グループ

きりゅう女性支援グループ「いぶき」の設立
 DV〈ドメスティクバイオレンス〉被害者の支援をするために相談事業やシェルターを設置、現在警察等の依頼を受け数人をかくまっています。現在相談ボランティアを養成中です。

リサイクルショップ

リサイクルショップ「ベスト」の運営 本町6丁目事務所
 桐生市民の善意の寄付品をリサイクル商品として「ベスト」で販売し、その収益金は、社会福祉事業の活動資金や施設で必要としている備品を購入し寄付をしています。年間営業日数、123日〈店舗118日、フリーマーケット5日〉月・水・金運営

ボランティア協議会後援会

.桐生市ボランティア協議会後援会の設立〈日本で最初のボランティアへの後援会〉
桐生市ボランティア協議会の事業を支援することを目的に、1995年12月、市内の有力企業16社参加の後援会を設立。毎年160万から200万の資金援助をしていただいております。


NPO法人わたらせライフサービス の仲間たちの日記

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